この3枚続きの錦絵は伊勢物語の一場面である。禁じられた愛がゆえに人目を避け逃げる2人。雲母(きらら)をふんだんに使用して描かれる満月に照らされ、武蔵野に茂る葦の足もとに隠れる恋人を映し出す。この場面は、国守の追手たちに見立てる5人の女性に2人が見つけられたところで、その女性たちが提灯を持って追いかける姿が他の二枚の画面に描かれる。その艶かしさ、可憐な美しさにおいて、この女性の表現は、繊細な心理的描写を表現する歌麿の様式の特徴を示すものである。歌麿は、細い体つきの、誇り高くも控えめな新しい理想の女性像を描き出している。彼はこの版画の自然の中の恋人たちの他、当時の世に名をはせた愛人たち、遊女の肖像、吉原(江戸の遊郭)で見る官能的な場面なども主題にした。
 1790年代は浮世絵の発展において転換期にあたる。多色刷り版画の技術はその頂点に達し、それぞれ違う色を施した版木を、同じ用紙に連続して刷っていく技術が完成した。1765年代以降、多色で濃厚な色料を使 った木版画と模様の空刷りの技術を使い、白い用紙の上に生き生きとした情景を刷った版画が錦絵と呼ばれるようになった。
 様式的に見ると、歌麿が浮世絵の巨匠と認められるようになったのは1790年頃である。彼の様式はその初期より一般大衆の心を惹き付け、その爛熟は江戸時代という時代が産み出したものであった。それはこれまでの貴族や武士、僧職者によって発達を遂げてきた日本文化に、裕福な町人文化が誕生した時期であった。